自然の光や風を採り入れる理由は、光熱費のためではありません。
こどもが自分の体で、季節や時間を感じられるからです。省エネは、その結果としてついてきます。
自然は、思いどおりにならない
積み木は、置いたところに留まります。自然は違います。
風は毎日違う吹き方をします。雨はいつ降るか分かりません。同じ木でも、季節ごとに色も匂いも変わります。
こどもが自然に惹かれるのは、この予測できなさがあるからだと考えています。
思いどおりにならないものと向き合う時間は、そのまま「思いどおりにならないことへの慣れ」になります。
うまくいかなかったときに、別のやり方を試す。今日はできなくても、また明日やってみる。自然との遊びは、その練習を毎日くり返しているようなものです。
光と風は、時間と季節を教える
太陽の位置が動くと、床に落ちる光も動きます。朝と昼で、同じ部屋の色が変わります。
こどもは時計を読めなくても、光の色で夕方が近いことを知ります。体の中に一日のリズムができていきます。
季節も同じです。夏の強い日ざしと、冬の低く差し込む光。風が心地よい日と、窓を閉めたくなる日。
暦で教わるのではなく、体で先に知る。この順番が大切だと考えています。
決まった形のないものが、遊びを自由にする
土、水、砂、葉っぱ、木の実。
これらには決まった形がありません。だから、こどもの数だけ遊び方が生まれます。
同じ砂場でも、山をつくる子、水を流す子、じっと握っている子がいます。玩具のように「正しい使い方」がないぶん、こどもは自分でやり方を決めることになります。
自然物には、同じものが二つありません。葉っぱを集めれば、大きさも色も形も違います。
並べて比べる、気に入ったものを選ぶ、仲間分けをする。こうした遊びの中に、観察する力の芽があると考えています。
生き物との出会い
木を植えれば、虫が来ます。実がなれば、鳥が来ます。
小さな生き物との出会いは、こどもにとって強い体験です。
じっと見つめる。触っていいのか迷う。捕まえてみて、逃がしてやる。動かなくなった虫を見て、何かを感じる。
自分より小さくて弱いものが、この世界にいると知ること。そのうえで、どう扱うかを自分で決めること。
言葉で教えるより、実際に出会うほうが深く残ります。だから植栽を考えるときは、見た目の美しさだけでなく、こどもが関われるかどうかを見ています。
雨の日にも、外の気配が届くように
雨が降ると、外遊びはできなくなります。
ただ、外に出られないことと、外を感じられないことは違います。
軒下があれば、濡れずに雨を眺められます。手を伸ばせば雨に触れられます。雨だれの落ちる音が近くで聞こえます。
窓の位置や大きさによっても、雨の日の見え方は変わります。天井まで届く窓があれば、空の様子が室内から見えます。
一年のうち、雨や雪の日は決して少なくありません。その日々を「何もできない日」にしないために、室内から外を感じられる仕掛けを組み込みます。
天気に左右されずに毎日同じことをするのではなく、天気によって過ごし方が変わること。それも自然と付き合うということだと考えています。
暑さも寒さも、少しは体で知る
一年中同じ温度に保たれた場所だけで過ごすと、体は変化に対応する機会を失います。
夏は暑く、冬は寒い。それを知ったうえで、涼しい日陰や暖かい日なたを自分で選べること。
私たちは、快適さをなくすことを勧めているのではありません。適切に空調は計画します。
そのうえで、外気に触れられる中間の場所を園舎に組み込みます。軒下、テラス、縁側のような場所です。
室内と外の間に、そういう場所があること。こどもが自分で「今日はここが気持ちいい」と選べること。それが自然と付き合う力になっていくと考えています。
取り入れ方は、園ごとに違う
自然を採り入れる工夫には、必ず裏側があります。
大きな窓は明るくなりますが、夏の暑さが入ります。自然換気は気持ちよいものの、花粉や外の音、防犯の心配とぶつかります。植栽は季節を運びますが、手入れが要ります。
私たちは、利点だけをお伝えすることはしません。欠点も並べたうえで、どこまで採用するかを一緒に決めます。
園によって、立地によって、答えは変わります。それでいいと考えています。
働く先生と、預ける保護者にとって
- 夏の日ざしを制御し、冬の光を採り入れる。断熱と合わせて計画します
- 明るさと風通しは、こどもの体調管理にも関わります
- 落ち葉や虫の手入れは、園の人手に合わせた量にとどめます
自然を採り入れることが、日々の負担を増やす結果になっては意味がありません。無理なく続けられる範囲を一緒に見定めます。
私たちが目指していること
自然を感じられる園舎とは、大きな庭のある園舎のことではありません。
窓から入る光が動くこと。風の通り道があること。触れる土があること。
小さくても、毎日出会えること。そのほうが、こどもの中には残ると考えています。